遊郭
セックスワークにまつわる言葉
何年か前、性にまつわる言葉を採取していたことがあります。よく女性器に関する方言を地図にしたような雑誌記事がありますが、あれは全然役に立たない。
九州では「ほぼ」ということになっているのですが、地域によって使われ方が違っていて、女性器ではなく、性行為のことを意味していることが多いものです。
また、「ぼぼ」という言葉は知っていても、使わない人たちがたくさんいます。それ以外の地域の人たちが「九州では"ぼぼ"というらしい」という情報を知っているのと同じように、地元の人でもメディアや人を通した情報として知っているに過ぎず、生きた言葉としては使っていないわけです。
それでも「地元ではなんと言うのか」と問われると、「ぼぼ」と答えてしまいます。サービス精神やお国自慢といった意識も手伝って。
そこで私は、世代、生まれ、育った地域、性別などの情報までを聞き、「知っている言葉」「使っているところを聞いたことのある言葉」「自分が使っている言葉」を区分して採取。これは方言に限らずのことで、たとえば「まんこ」「おまんこ」「アレ」「ナニ」といった標準的な用語であっても、現に使用している場合はそれを採取。これを聞いておかないと、経年変化がわからなわけです。
これによって、ある言葉がいつ頃まで使用されていたのか、それに代わる言葉がどのように伝播していったのかまでがだいたい判明し、性にまつわる用語は、他の方言と同様の消え方をして、全国標準化してきいることがわかってきます。
ただし、方言の中では、性にまつわる用語は標準化される時期が遅れています。「まんこ」「おまんこ」といった言葉が全国制覇をするのは、ここ20年くらいのことです。我々の世代が80年代に、雑誌や本で堂々と「まんこ」「おまんこ」と書くようになったことで、全国に流通するようになったようです。
今だってテレビではこの言葉は存在しないことになっていて、学校でも教えられないですから、言葉が統一される速度がどうしても遅くなります。
そして、いまなおセックスワークにまつわる言葉は地域性が強く残っていますし、古い言葉も残ってます。メディアに乗りにくい情報だからです。
「立ちん坊」あるいは「立ちんぼ」という言葉がありますね。「裏風俗なんちゃら」みたいな雑誌やムックを読むと街娼の意味で使用されています。
ところが、これは比較的新しい用法で、もともと「立ちん坊」という言葉は、「外に立っている仕事やその従事者」を意味します。
戦前の本を読んでいたら、路上で立ちん坊をしている人たちの描写が出てきて、この人たちは誰かが困って助けを求めることをじっと待っているのです。
当時は道路事情も悪く、車自体、故障しやすかったため、エンストしたり、溝にはまって立ち往生することが頻繁にあって、その時は彼らの出番です。持ち上げたり、押したりすることで、なにがしかの賃料をもらう。のどかなものです。
あるいは人手が欲しい手配師がここにやってきて工事現場に連れていく。今も日雇労働者が仕事を探して集まる公園があったりしますが、あれが立ちん坊ってわけです。
街娼も、仕事が来るのを待っているという意味では、立ちん坊のひとつのありようですが、かつては「夜鷹」「辻の君」「パンパンン」「闇の女」といった名称があったため、わざわざ混乱を招く「立ちん坊」という言葉を使用することはなかったのでしょう。
ところが、戦後、広く使用されてきた「パンパン」という言葉を使わせないメディアが出てきたため(この事情は次回説明します)、「立ちん坊」が街娼に限定した言葉として広く使用されるようになったものと思われます。せいぜいここ20年くらいのことです。
とは言え、これもテレビではまず使われず、一般の雑誌でもほとんど出てこないですから、全国統一はされておらず、時折混乱が起きます。
地域によっては、客引きのことを「立ちん坊」と呼びます。街娼は「直(じか)引き」とか「じか」です。この「直引き」も、表記は統一されておらず、昔の本には「自家引き」となっているものもあります。どちらの意味でも正しく現実をとらえています。
地元の人に「立ちん坊がいる」と聞けば、こっちは街娼がいるのだと思うわけですが、行ってみたら、単なる客引きだったりする。そういった経験を経て、今は間違いのないように確認をするようにしてます。
あるいは古い世代は今も「パンパン」という言葉を使用します。生身で使う分には、差別用語だのなんだのとは関係がなく、メディアで使いにくい用語になっていることさえも気づかないでしょう。
もう使わないにせよ、また、本来の意味とはずれているにせよ、「パンパン」は古い世代であればほとんどの人が知っているわけですが、昔も今も一般には使用されない用語が、何十年も経った今の時代にも、狭い範囲で使用されていることがあります。
例えば「バンをかける」。これは客引きや直引きが、「社長、お遊びの方は」「おにいさん、遊ばない?」と声をかけることです。
語源は大きくふたつの説あって、ひとつは「こんばんは」を不良言葉で「ばんこん」と言い、そこから夜のあいさつをすることをこう呼ぶようになったというもの。「ばん」は「晩」です。
もうひとつは役者の用語で、芝居の出番になると、楽屋に「出番ですよ」と声をかけることから来たというもの。こちらの「ばん」は「番」です。
おそらく私は後者だろうと思ってます。戦前から、男娼には、役者出身が多かったため、そちらの言葉が転用されたのではなかろうか。
語源はともあれ、この言葉は戦後間もない頃の雑誌で知ったのですが、上野の男娼たちが今も使用していることを知って驚きました。終戦後の上野は男娼が多数集まる場所として知られます。その頃の言葉が脈々と伝えられているわけです。
面白いでしょ。あんまり面白いと思わない人もいましょうけど、私はこういう話が大好きなので、今後、この連載でも、言葉についてはあれこれ語っていくつもりです。
黄金町
11月30日まで、横浜黄金町で、「黄金町バザール」という催しが開かれています。
http://www.koganecho.net/JPN/index.html
2004年初頭まで、ここには小さな店が軒を連ね、店の前で女たちが客を引いていました。その数ざっと200軒(これは10年近く前に一軒一軒数えた数字で、その後はもっと増えていたかもしれない)。それぞれに1人から2人の女たちが店に出ていましたから、毎晩、300人くらいは出勤していたでしょう。
国籍は時期によっていろいろで、一時は中南米が多く、その後はタイ、中国。末期はほとんどが台湾人で、数は少なかったのですが、日本人もいました。
台湾人たちは、日本に来るための借金を抱えているのは少ないため、悲壮感は薄く、繰り返し日本に稼ぎに来ているのや、短期間で辞めて、飲食店など、他の仕事に移るのも多く、黄金町の一斉摘発以降は、おそらくほとんどはすでに国に帰ったのでしょう。
この街の特徴は「場所貸し」であったことです。これも時期によって違うし、店によっても違うのかもしれませんが、私が2003年頃に台湾のコらに聞いたところによると、1人が1日で2万5千円の払って場所を借ります。これ以上稼げばすべて自分のもの。これに満たなければ赤字です。
いわゆるチョンの間ですから、料金は1本1万円。延長する客は少ないため、3本つかないと元がとれません。3本ついたところで5千円しか残らない。だから、客がつかないコたちは明るくなるまで外に立っていたものです。
一部例外的な地域が今もあって、これはまたいずれ紹介しますが、フリーを除く日本のセックスワーカーのほとんどは店に雇われて、一定の金額を店からバックしてもらうシステムの元で働いています。しかし、ヨーロッパの飾り窓は「場所貸し」が圧倒的に多いようです。
外国人が多く働く黄金町で「場所貸し」になっていたのは、経営者の摘発逃れ以外の理由がありそうにも思います。
さて、この「黄金町バザール」の公式サイトの説明にはこう書かれています。
----------------------------------------------------------------------
かつて違法な特殊飲食店が軒を連ねていた横浜市黄金町に2つのアートスタジオが新しく誕生します。これらのスタジオをメイン会場とし、「黄金町バザール」が開催されます。
----------------------------------------------------------------------
「特殊飲食店」を厳密な用語として使用したのでなく、「売春店」と書くのを避けるための「逃げ」としての言葉でしょうけが、誤解を招きます。
時期によって名称は変わるのですが、特殊飲食店(略して「特飲店」)は、赤線の店のことです。しかし、黄金町が赤線だった事実はありません。横浜の赤線は、黄金町から歩いて15分ほどの真金町にありました。ここは戦前、遊廓があった場所です。今は遊歩道やラブホテル、マンションなどがあるだけです。
国道を挟んだ反対側はヘルス街。通称「親不孝通り」と言われる、この通りが青線でした。
大宅壮一は『日本の裏街道を行く』(文藝春秋新社/1957年・昭和32年)の冒頭で、青線時代のこの街のことをこう描写しています。
----------------------------------------------------------------------
イセサキ町の裏通りは、"親不孝通り"という名で通っている。ここに足を踏み入れたらさいご、浪花節の文句じゃないが、"親の勘当待つばかり"ということになっているらしい。いわゆる"青線地帯"で、バー、キャバレー、飲食店などの軒をつらねている。
----------------------------------------------------------------------
では、黄金町はどういう街だったのでしょう。これも大宅壮一の文章から。
----------------------------------------------------------------------
川をわたると、すぐイセサキ町の繁華街通りに出る。日本の大都市の表と裏が、こうも対照的な形で背中合わせになっているところは珍しい。この風太郎街は、いわば近代都市、いや、今の社会組織から必然的に生まれている排泄物か下水のようなものであるが、一度ここの味を覚えると、はなれられなくなるらしい。
----------------------------------------------------------------------
「風太郎」というのは港湾労働者のことです。風のように来て風のように去っていくからでしょうか。
大岡川には、風太郎のための宿になっている船があり、これを水上ホテルと呼びました。これが火災を起こしたことがあって、以来、水上ホテルは禁止。
その当時とはずいぶん様変わりしていますが、それでも徒歩で移動できる範囲に、家族連れの多い商店街や映画館があり、ヘルス街があり、ソープ街があり、飲み屋街があり、そして、チョンの間街があったのですから、【大都市の表と裏】が共存していたわけです(チョンの間以外の風俗店は今も残ってますし)。
大宅壮一は、黄金町は、風太郎たちが集まり、クスリ(ヒロポンでしょう)の売買をする危険な場所としてしか描いてませんが、地元の人に聞いたところによると、この時代から、すでに売春をする店が細々と営業していた場所でもあって、真金町の業者の娼婦の貸し借りもやっていたと言います。
売防法によって真金町の赤線は壊滅して、業者は旅館などに転業。この名残が真金町のラブホテルです。トルコ風呂に転業した業者もあったらしいのですが、今は真金町には残っていません。
トルコ風呂は黄金町に近い野毛にも何軒かできて、ストリップ劇場などもあるため、歓楽街としては真金町から野毛周辺に移動、それとともに、モグリであった黄金町が、売春街としてやがて発展していくことになります。
これが黄金町のざっくりした歴史です。2004年の一斉摘発以降、この街のイメージを一掃する試みが行われていて、ギャラリーやスタジオが新設され、この「黄金町バザール」もその試みのひとつってわけです。
違法性の疑いのある商売がおおっぴらに行われていたのですから、一掃されるのもやむを得ないかもしれないですけど、歴史的な事実はしっかり踏まえて欲しいと思う次第です。
なお、赤線というのもまた正しく理解されていない用語でありまして、今現在入手できる文献の多くが正確ではない記述をしています。これもまたいずれ説明したいと思います。
遊女の視線
この連載では、タイトル通り、昔のセックスワークにまつわるさまざまを書いていく予定です。言葉だったり、法律だったり、業態だったり、テクニックだったり、グッズだったり、人だったり、金だったり、習慣だったり、病気だったり......。
こういう話は今までいろんなところで書いてきているのですが、まとまった単行本になっていないので、改めてこの連載をその総集編的なものにしてきたいと考えてます。ただし、何万字も費やすような場ではないので、さらりと読める読物にしていくつもりです。
雑誌やインターネットに書いてきたことと重複する部分もあるかとは思いますが、すでにそれらの原稿のほとんどは簡単には読めないため、なにとぞご容赦ください。
始まるや否や、宣伝みたいになってしまいますが、先頃出た新刊『風俗お作法』(しょういん)の中にも、古い遊廓の話や赤線の話、街娼の話、トルコ風呂の話などが出てきます。
この本は風俗求人誌「てぃんくる」の連載をまとめたもので、性風俗を中心とした接客について論じたものです。接客技術において、水商売と風俗産業は重複するところも多くて、接客業全般に通じる話を書いていると自負してます。
なおかつ、接客技術は、江戸時代も今もさして変わっておらず、古くから言われている知恵をこの本では何度も取り上げています。
その中で、江戸時代の遊女たちが客のあしらい方を語った「寝ものがたり」という本を紹介した一文があります。これは雑誌「あまとりあ」昭和26年7月号に掲載された矢野目源一「東西娼婦手練手管教科書」という文章からの孫引きで、江戸時代のいつのものか書かれていないのですが、内容からすると、江戸末期のものと思われます。
今からおそらく二世紀くらい前の遊女たちの知恵は今もそのまま通用します。例えば「客を怒らせたら泣けばいい」とか「相手によって臨機応変に言葉を使い分ける」とか「若い男は心の機微などわからないので床の中では万事大げさに、かつ回数を重ねる」とか。
では、『風俗お作法』では紹介しなかった話を今回は取り上げてみるとしましょう。
十八歳の勝山(源氏名です)ちゃんは「初会(遊廓では初回のことをこう書く)から一緒に食事をしない」と言っています。
当時は泊まりが基本ですから、通常は、客のおごりで一緒に夜の食事をすることになります。遊廓がいかにひどい環境であったかと言いたがる人たちは、「ロクに食べられなかった」なんて話を持ち出すことがよくありますが、少なくとも客がつく日は、一般庶民よりはるかにいいものを食べていたと言っていいでしょう。
今の時代にも、サンドイッチや寿司を風俗店に手土産にもっていき、一緒に食べる客がいます。ともに食事をするのは親密度を深める行為です。であるがゆえに、勝山ちゃんは初めての客とは食べず、客に会う前にお茶漬けを食べるだけだと言います。つまり、「最初から気を許さない」という知恵です。
初めての客に粗相をすると、二度と戻って来ないわけですが、だからと言って、すべてを晒すと、やはり次につながらない。そこで、「まだ先がありますのよ」ともったいぶることで二度目、三度目につなげるテクです。
二度目を「裏を返す」と言い、三度目からを「馴染み」と言い、馴染みになってからは、むしろ気を許すことで客を引っ張れるわけです。今の時代にも、馴染みになってから甘えたり、せがんだり、すねたり、わがままを言うのは有効ですが、最初からこれをやると、「ウザい女」として客は敬遠します。
これは客商売全般で言えることですし、一般の人間関係にも言えることですね。
「一度目と二度目と三度目の対応を変えるといい」と語っている遊女が複数いまして、これを読む前から私もよく風俗嬢たちに同じアドバイスをしていたものです。客の心理はいつの時代も一緒です。
もちろん、すべての知恵が今の風俗嬢たちに通用するわけではなく、遊女たちは、あわよくば借金を払ってもらって「苦界」(遊廓のこと)から脱したいと考えていますから、客に対する視線が非常にシビアです。
早い段階で客を見定めて、適切な対応をする必要があるのは、今の水商売、とくに銀座や六本木のクラブホステスです。これも『風俗お作法』に出てきますが、私の知人のホステスは、仕事が終わってうちに帰ると、すぐにその日にもらった名刺を見て、インターネットで調べます。会社の規模、従業員数、売り上げ、評価などを確認しないと、その客とどう接すべきか決定できないわけです。
インターネットなんてなかった時代に、遊女は初会の客をどう見定めるといいかについては、二十三歳の雲井ちゃんが「酒を飲ませるといい」と言っています。これだけで「月と水」を見分けられると。「月」というのは野暮な客で、「水」は粋な客のことです。月は「月並み」、水は「粋」の音読みから来たものでしょうか。いかにも遊廓らしい言葉です。
酒を飲むと、相手の育ちや生活、さらには性格までがわかり、何もせずに寝てしまう客もいますから、一石二鳥です。
遊女はセックスの相手だけでなく、長い時間、食事の相手、酒の相手、会話の相手もしなければならず、なおかつ身請けされたあと、妾になったり、正妻になったりするため、この辺りは今の風俗店とは大きく違っていますね。セックスワーカーたる遊女の置かれた立場や業態、システムの違いです。
しかし、今だって、120分のソープランドと、30分のピンクサロンでは接客内容も技術も違うってものです。また、客をパトロンにしようと狙っている風俗嬢もいます。もう結婚しましたが、ダチの風俗嬢はよく客をパトロンにしてました。これも『風俗お作法』に出てきますが、別の風俗嬢は、客を半ば騙して金を引っ張ってました。
それがいいか悪いかは別にして、彼女らのようなタイプは今も「遊女の視線」を持ち続けていると言えるかもしれません。