遊郭

タクシーとセックスワークのつながり

ちょっと前に、広島に行ってきました。ヤクザ映画の影響で、広島は怖いイメージがありますが、全然そんなことはないです。広島県人は「おっとり」「おとなしい」といった印象さえあって、皆さん、とても親切です。言葉も映画ほどは汚くないです。「じゃけ」くらいは言いますけど。

広島市には、地元で「マントル」と言われる裏風俗があります。東京でも、一時期、この言葉は使用されてましたが、「マンショントルコ」の略です。広島の場合、マンションの中に店舗があるのではなく、女のコと客引きとが連動した業態のことをこう言います。

地元の人たちにとっては当たり前の業態ですが、広島のマントルは全国的に見ても非常に珍しい特性をもっています。長くなるので、これについてはまた今度。

この一角の客引きのおねえさんで、私が大好きな人がいるのですが、体調を崩してしまって、今半引退状態で、今回も会えなかったのが残念。それでも、街娼や客引きのおねえさん方にたっぷり話を聞いてきました。

このマントルは、元遊廓地帯で戦後は赤線があった弥生町周辺にあります。もちろん、当時はマントルとは言わなかったわけですけど、売防法制定以降に登場し、歴史的には遊廓からつながっています。

かの文藝春秋が文藝春秋新社と名乗っていた時代、「漫画読本」という雑誌を出していました。今の文藝春秋では考えにくいですが、ヌード写真や風俗ルポが掲載された男性向けの雑誌です。

「漫画読本」の昭和42年3月号は「男のためのプレイガール研究」と題した特集を組んでます。遊んでいる男がプレイボーイなら、女はプレイガール。そういった女たちとどこで出会えるか、どうやってくどけるかといった内容の特集です。

この雑誌には「男の旅・全国アナ場しらべ」という連載ページがあり、この号は広島が舞台です。この記事によると、広島の繁華街である薬研掘にある「和光」というトルコ風呂は15年の歴史があって、「日本最古」を謳い文句にしているとあります。15年前だとすると、昭和27年。取材が前年だとして、昭和26年にオープンということになります。

一般にトルコ風呂の元祖は、銀座の「東京温泉」ということになっていて、このオープンが昭和26年の3月ですから、「和光」のオープンも、早くてこの年の後半です。この世界での「元祖」「初」というのはあまり信用できないので、たぶん同じ年だから、「日本最古」と言っていいだろうってことでしょう。

なお、「東京温泉」がトルコ風呂の元祖という話は大いに怪しい。これについては、以前、雑誌で詳しく論証したことがあるのですが、その後わかったこともあるので、そのうちこの連載でも書くことにしましょう。

さて、この記事には、今につながる広島の裏風俗事情も出ています。タクシーに乗って「面白いところある?」と言えば、必ずこの一角にタクシーはやってきて、周辺の客引きが女のコを連れてきます。その中から選んで、タクシーに乗せて、旅館まで行く寸法。

この一角には今もラブホテルがちらほらとあって、当時も赤線の店が転じた旅館があったはずなのですが、おそらくこの場でするよりも、移動した方が警察の目につかないという事情があったものと思われます。

今も川沿いの比治山町にホテル街があって、こちらにも弥生町とはつながりのない街娼のおねえさん方がいます。おそらく当時から旅館やホテルがあったものと思われ、タクシーでここに移動したのではなかろうか。

歩いてもそう遠くないところなので、タクシーの運転手にとってはさしたる売り上げにならないのですが、こうやって客を紹介すると、運転手にもバックマージンが入ってきます。時には運転手が多めにふっかけて、間を抜くという方法もあったでしょう。

したがって、客は値段交渉をタクシーの運転手とやればよく、それを路上でやるよりも目につきにくい。その点でも、タクシーは便利で、安全だったわけです。

ひと昔前までは、タクシー運転手に言えば、そういった場所に連れていってくれ、運転手は売り上げの一部をバックしてもらうということが公然と行われていたものです。今はタクシーの団体がうるさくなって、どこの地域でも禁止され、ソープランドのライターをくれたりするくらいですけど、昔からタクシーや輪タク(今でもアジア各国に残っているバイクのタクシー)は客引きの役割を果たしていたんですね。

さらにはタクシーはセックスワークとの深い関わりがあります。

そもそも日本でおおっぴら(というわけでもないでしょうが)にカーセックスが行われるようになったのは、戦後間もない頃のこと。進駐軍とパンパン(ここでは街娼のこと)たちが、タクシーの車内でいたしたのが始まりのようです。

泊まりではなく、ショートで済ますなら、旅館代よりタクシー代の方が安い。実際にそうしていたこともあるのですが、ビルの脇の暗がりや公園でやると、警察に捕まります。旅館に行ったところで、警察が刈り込みをする可能性があります(売春自体は取り締まりの対象ではなかったのですが、昭和23年頃から、性病予防法を根拠とした刈り込みが頻繁に行われるようになります)。

つまり、タクシーの中でのセックスは、刈り込みされない方法としてパンパンたちが開拓した方法だったわけです。

米兵が相手ですから、運転手としては文句を言いにくい。それどころかチップも弾んでくれる上客ですから、むしろ歓迎だったでしょう。それまでにも客引きの役割を果たしてきた仕事仲間ですので、最初からさしたる抵抗はなかったものだと思われます。

タクシー自体をホテルに使用するのでなく、パンパンとタクシー運転手が組んで、運転手やパンパンが客を見つけると、一緒にタクシーに乗り込み、人気のいない河原にタクシーを停め、運転手はしばらくそこから離れて仕事が終わるのを待つといった方法も古い雑誌には出ています。持ちつ持たれつの関係だったのですね。

ここから、一般の人たちの中からもタクシーを「走るホテル」にする人たちが出てきます。必ずしも金がないわけではなくて、タクシーの中ですることにスリルを求める人たちもいたようです。

というわけで、今回は「タクシーと売春の関係」という、あまり見かけないテーマのお話でした。

役者買い

昨今、女たちがホストクラブ、出張ホスト、売り専の客になることに眉をひそめるムキがあるわけですが、これは日本の伝統であって、今になって急に女たちが買春をするようになったわけではありません。

戦前の雑誌を読んでいると、「役者買い」という言葉がよく出てきます。ここでの「役者」は、女の役者ではなく、もっぱら男の役者のことです。歌舞伎役者であれ、旅役者であれ、役者だけで食べていくことは難しく、パトロンをつけるしかない。こういったパトロン、愛人関係をもつことを「役者買い」(「やくしゃがい」ではなく、「やくしゃかい」と読む)と表現します。

これはもともと花柳界の用語です。つまり、芸者が歌舞伎役者に入れあげて、金銭面まで面倒を見ることから始まった言葉です。これを世間の人たちは当たりまえのこととして受け入れていたばかりでなく、人気のある役者をサポートすることが芸者自身のステイタスでした。それだけの金を得られる女はそうはおらず、役者買いは売れっ子芸者の特権であって、人気のある芸者に惚れ込まれることが役者のステータスでもありました。

戦前の雑誌や新聞には、新橋の何千代が歌舞伎役者の何五郎に入れあげているなんて話がよく出ていて、芸者と歌舞伎役者の関係は役者買いとして公然と語られ、一般庶民にとってはこれもまた娯楽だったわけです。

ところが、やがて役者買いは、花柳界と歌舞伎界の特権ではなくなります。

「話」(文藝春秋社)昭和9年5月号に掲載された今西鶴「新橋名妓艶聞録」は、新橋芸者を紹介しつつ、この頃の芸者は以前と違ってきたことを嘆いた内容です。歌舞伎役者に金を注ぎ込むような気風のいい芸者がいなくなり、役者と芸者がくっつくことがあっても、金銭を介在させない単なる恋愛沙汰になってしまい、役者買いをするのは上流階級の有閑夫人たちになってしまったというのです。

それを裏付けるような話も、この頃の雑誌にはよく出ています。

ちょっと前に、「東京スポーツ」の連載で出した話です。昭和4年、東京の代々木八幡で中年女性の絞殺死体が発見されます。昨年、妻が夫をバラバラにした事件があった富ヶ谷の近くです。おそらく当時は人通りもない淋しい場所だったのでしょう。

被害者は、中野区に住む退役軍人・遠藤軍吉(56)の妻、ふさえ(41)であることが判明。軍吉は将来を嘱望された軍人だったのですが、神経衰弱(今で言う鬱か)を患って退役し、以来十年はふさえが行商やブローカーをやって五人の子どもを育ててきました。

ふさえの遺体からはサファイアの指輪が消えていましたが、財布は手つかず。しかも、彼女は妊娠していました。

真っ先に疑われたのは、旅役者の女形・花之助です。被害者は知人の未亡人とともに役者買いをしていたのです。ふさえにしてみれば、夫は病気で甲斐性がなく、自分で稼いだ金をどう使おうと勝手ってことでしょう。

花之助は劇団からの独立を図って、資金をふさえに無心するも断られていました。金は出さないくせにしつこくつきまとい、妊娠までしてしまったふさえが邪魔になって殺したと思われたのですが、花之助には崩れぬアリバイがあって、捜査は振り出しに。

彼女は土地や金融の口利きもしていて、客を得るために体を武器にしていたことがわかってきます。しかし、この線からも有力な手掛かりは見つからず、結局犯人は、単なる物取りだったというオチ。

これは「実話雑誌」昭和10年12月号に出ていた「役者買ひをする大尉夫人」という実話読み物です。

タイトルを見ればわかるように、殺人事件を取り上げつつ、退役しているとは言え、軍人の妻が役者買いをしていたことが好奇の対象にされたわけです。

この場合は歌舞伎役者ではなく、旅役者です。この頃になると、舞台役者ではなく、映画役者のパトロンになることや、一夜限りの関係も役者買いと呼ぶ例が出てきます。

こうなると、役者たちは売春夫であり、その顔見せが舞台です。もともと芸能と売春は切っても切れない関係にありますので、これ自体、さして不思議なことではないのですが、これまでは、芸人同様、社会からはみ出した存在だった芸者の特権だった役者買いが大衆化したことに注目です。

それまで金を持っている女は芸者くらいしかいなかったのが、役者買いができる層が広がったとも言えるのですが、金の余裕がないはずの女たちまでが「役者買い」をやっていた事実があります。

この辺について詳しく書かれた資料が行方不明になってしまったので、出てきたらまた紹介するとして、ここでは役者買いという言葉を覚えておいてください。

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あなたの知らない性風俗史。
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松沢呉一のプロフィール

1958年生まれ

大学卒業後、メディア関係のいくつかの仕事を経てライターに。

当初は幅広くこなす何でも屋だったが、30代後半からは性をテーマにすることが増え、やがて風俗ライターに。
2005年、風俗ライターの肩書きを捨て、現在は単なるライター。
風俗ライター廃業をきっかけに有料メルマガ「マッツ・ザ・ワールド」をスタートさせ、毎日、1本から2本配信。
著書に『エロ街道をゆく』『ぐろぐろ』(ちくま文庫)、『風俗ゼミナール』(ポット出版)、『風俗お作法』(しょういん)、編著に『売る売らないはワタシが決める』(ポット出版)など多数。