遊郭
「吉原炎上」のウソ 21/娼妓の地位転落
江戸時代、あるいは明治時代も、最下層の私娼を「地獄」と呼ぶことがありました。これはあくまで私娼に向けた言葉です。対して遊廓が天国だったわけではないでしょうが、決して遊女たちは蔑視される存在ではありませんでした。すでに書いたように、遊廓の中でも低く見られる層があったにせよ。
かつて遊女は憧れの対象でさえありました。江戸時代の浮世絵には、男であれば歌舞伎役者、女であれば花魁が描かれていたことがそのことを雄弁に物語ります。
明治以降、その地位は徐々に落ちていきますが、『吉原炎上』のあとがきには、筆者の母親が小学生だった時に、「うちのお母さんは、吉原で太夫だったのよ」と友だちに自慢し、皆が「ヘェーそんな偉い人なの」と驚いたというエピソードが紹介されています。明治30年代のことです。
今の時代に「うちのお母さんは吉原のソープランドでナンバーワンだったのよ」と自慢する人はおらず、私以外に「そんな偉い人だったのか」と感心する人たちもあまりいないでしょうが、明治30年代になってもなお吉原は特別、太夫は特別な存在でした。
著者の斎藤真一はこう書いています。
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この頃、明治三十年代でも田舎の駄菓子屋さんで玩具絵(おもちゃえ)として木版の遊女一覧表や、双六の「上り」が花魁の太夫であったりするものが売られていた時代だから、当然日本のトップレディーが花魁だったのかと、なるほどうなずいたものである。私自身も漫然とそう思っていた。
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これは祖母のことを貶めたくないという感情による誇張では決してありません。
明治末期になると、雑誌にはグラビアページができて(正確にはグラビア印刷ではないですが)、白黒写真が掲載されるようになります。大衆雑誌や文芸雑誌のグラビアに出ているのは芸娼妓でした。すでに芸妓と娼妓の地位が逆転していて、芸妓の扱いの方が大きいのですが、娼妓も出ています。歌手や俳優ではなく、彼女たちこそがアイドルであり、スターだったわけです。
映画が登場して、映画女優という仕事も確立されていきますが、役者という仕事は蔑視され、親族に反対されることも多く、当初は芸妓よりも地位が低かったと言っていいでしょう。その証拠に、地位の高かった歌舞伎役者の相手は決まって芸妓でした。
その芸妓よりも、明治の半ばまでは娼妓の方が地位が高く、まさにトップレディーでした。こういう時代だったからこそ、祖母は娘に自分の過去を教え、娘は息子である著者にそのことを語り、『吉原炎上』が記録されたわけです。現に『吉原炎上』が書かれた事実からも、今、我々が思っている売春婦イメージを当時の日本人たちの多くは共有していなかったことがわかるでしょう。
こういった事実を踏まえないから、「吉原炎上」のようなおかしなドラマができてしまいます。
斎藤真一は1922年(大正11)生まれです。祖母が吉原の太夫だったため、この世代でさえもなおトップレディーだった時代を辛うじて体感できていたわけですが、世間一般の娼妓に対する見方は、この20年ほどの間に大きく変質しています。
これについては拙著『エロスの原風景』の「細見」や「絵はがき」を書いた章でも説明していますが、原作の舞台になった明治20年代と、ドラマの舞台になった明治40年代との間に、娼妓の地位が転落する決定的ないくつかの出来事がありました。
明治33年「娼妓取締規則」が制定され、「三業取締規則」が改正されます。これによって遊廓に対する締め付けが厳しくなり、警視庁令によって遊廓の広告も禁止されます。雑誌に組合が広告を出している場合もありますが、創刊を祝う名刺広告のようなものだけで、客を勧誘するための広告は見られません。
また、この年から、キリスト教団体を中心に廃娼運動が巻き起こります。「娼妓の人権」などと言いながら、彼らの主張は徹底して娼妓を蔑視するものであり、だから、「賎業婦」なる言葉を作り出します。
これについては他のところで繰り返しているので、ここでは詳しくは語りませんが、彼らの行動が娼妓の労働環境を向上させた可能性は否定できないながら、売春婦の蔑視を背景にした廃娼運動が娼妓の地位を貶めた側面も否定できないでしょう。
法律で厳しく取り締まられ、宣伝行為もできず、税金は高く、廃娼運動から叩かれ、蔑視も強まる。踏んだり蹴ったりです。
すでに説明したように、ドラマでは設定を原作から約20年あとの時代にずらしています。ことによると、ここには娼妓の地位にまつわる事情があるのかもしれません。原作通りに娼妓がトップレディであった明治20年代を舞台にしたのでは、あのドラマのような話は成立しない。地位が転落して以降の時代であれば都合がいいってことです。
しかし、これはあくまで社会の見方であって、吉原の現実が急に悲惨なものになったわけではありません。悲惨だと思いたい人たちが増えただけです。
繰り返しますが、今の時代に見ればどちらにしても悲惨です。しかし、ことさらに遊廓のみを悲惨であるとすることに意味があるのでしょうか。明治時代、それほどまでに他の労働は恵まれていたのでしょうか。
次回から、このことを見ていきます。
「吉原炎上」のウソ 20/客に惚れてはいけない理由
現実にはすでに書いたように、多くの娼妓は逃げても無駄であることを知っていたため、逃げる気などありませんでした。貧農出身の女たちは、親元にいたところで、粟や稗や芋しか食べられず、仕事があったとしても、低賃金の子守りくらいしかない。それに引き換え、吉原では白米を食べられます。絹の布団で寝て、高い着物を着られます。
彼女たちが憧れていたのは、年季を明けて貧しい故郷に帰ることではなく(そういう娼妓もいたでしょうけど)、好きな男と結婚することであり、金のある客に落籍(ひか)されて、妻や妾になることでした(「落籍」は年季明けの前に、客が金を出して籍を抜くこと。「身請け」と同じ)。これなら親を困らせることはない。
『吉原炎上』の原作でもドラマでも、久野は客と結婚して人生をまっとうしています。彼女は貧農出身ではないわけですけど、これが多くの娼妓が目指すハーピーエンドです。
これに対して、足抜けするのも、ほとんどは男がらみです。いかに妓楼や親族に迷惑をかけようとも、「もっと会いたい」「一緒にいたい」という思いはとめられない。単に「自由が欲しい」「売春業から逃げたい」なんてことではない。そういった思いを抱くのもいたでしょうが、他人への迷惑を考えると、それが足抜けには直結しにくい。
いかに好きでも、男としては金を作って身請けすればいいのだし、金がなければ、年季明けまで待てばいいのですが、たいていこういう男はヤクザもんですから、そんな辛抱はせず、足抜けの多くは男の生活のためです。
さっさと逃亡させて、別の場所の私娼窟に女を送り込んで金をもらってトンズラってところでしょう。女の側からすると、男のためなら売春でもするってことであり、「売春がイヤで足抜けをした」ってわけではありません。
あるいは、『廓の子』にあったように、逃亡した末に心中することもありました。どちらにしても、妓楼は大損です。
「だから、妓楼が娼妓の行動を制限するのは当然」と言いたいわけではないのですが、当時の制度においては、妓楼側にとってそうする合理的な理由があったわけです。
遊廓で「客に惚れてはいけない」とされていたのは、第一には足抜けする可能性があるためです。第二には心中する可能性があるためです。第三には娼妓自身のためです。娼妓が金を出して好きな男と会うようになると、金がいくらあっても足りない。
事実、娼妓が好きな男に遊興費を渡して、遊びに来させることがありました。こういう男を間夫(まぶ)と言います。間夫ができると、仕事にも熱が入りません。今で言えばホストに金を貢ぐようなもので、娼妓たちの借金が減らなかったのは、こういった事情もあります。
もし久野に好きな男がいることを知っていたら、楼主も外出許可を出さなかったかもしれない。娼妓が客に恋をしていないかどうかを見極めるのもまた遣り手の仕事です。もしこれを察知されていたら、勇吉と落ち合うのではないかと疑われて許可は出さず、場合によっては、遣り手を同伴させたでしょう。
だから、原作での久野は勇吉との関係自体を悟られないようにしていていましたし、ウソをついて外出許可を得ています。
以上のことから、ドラマに登場した「逃げたくて逃げたくてしょうがなく、しかし、外出許可ももらえず、果てに自殺しようとした鶴尾」のような存在がいた可能性もありますが、あのドラマからは、その背景はまったく見えず、娼妓は誰もが外出する自由もなく、常に逃げたがっているとしか思えない。おそらく脚本家も正しい遊廓の事情などわからず、鶴尾を登場させたのでしょう。
あのドラマは、今の時代の我々が信じて疑っていない価値観を、明治時代に誰もが共有していたのだと誤解すること、誤解させることで成立しています。なおかつ、当時の社会状況に対する無理解があって成立しているものでしかありません。
そのことを詳しく見ていくことにします。
加藤てい子の小説『廓の子』で、娼妓が買い物に出る自由もあったのは、おそらく「福井だから」ということもあります。地方都市では、堀も塀もなかった遊廓が多く、その行動を制限しにくい。対して、吉原はおはぐろどぶで囲まれていて、日常的な買い物程度で外出できたとは思えません。
それ以外でも、ドラマの原作である斎藤真一著『吉原炎上』と、加藤てい子著『廓の子』は、遊廓、妓楼のありようが全然違ってます。前者は華やかさがあるのに対して、後者は陰惨ささえ漂う。前者は日本有数の遊廓である吉原であり、対して後者は福井の遊廓である点がまずあります。
『廓の子』は小説なので、データ的なことはほとんど出ていないため、ここで補足しておくことにしましょう。日本遊覧社編『全国遊廓案内』(日本遊覧社・昭和5年)によると、福井市の遊廓は石場畑方にあり、貸座敷は35軒、娼妓は約200人とあります。福井は羽二重の産地で、それなりには裕福な層がいて、京都の流れを汲む花柳界が発達はしていても、小規模な妓楼の多い鄙びた遊廓だったようです。
※日本遊覧社編『全国遊廓案内』に出ている京都・島原の花魁道中の写真。関西と関東では、花柳界や遊廓のスタイルも違っていて、かつては福井でもこういった京都流の格好をしていた時代があったかもしれませんが、近代になってから、福井では花魁道中のようなイベントはなかったのではないでしょうか。
対する吉原の妓楼は同時期で300軒弱、娼妓の数は2500人。ざっと十倍の規模です。数だけでなく格式も違う。
それとともに、時代の違いも大きい。『吉原炎上』は明治20年代の話が中心です。『廓の子』は昭和初期が舞台です。この間に、遊廓をめぐる環境、社会の見方が大きく変質しているのです。
続く。
「吉原炎上」のウソ 19/妓楼が娼妓の行動を制限したわけ
ドラマ「吉原炎上」の冒頭で、鶴尾という娼妓が、「ここから絶対に逃げてやる」と言いながらも逃げられず、追いつめられて自ら首を切るシーンが出てきます。吉原から出るには死ぬしかないとでも言いたいのでしょう。
ドラマでは、原作にある「久野は恋人と会うために単独で外出した」という事実を伏せた上で、原作にない鶴尾という娼妓を登場させているわけですが、外出することができた現実を知れば、「なんで鶴尾はああも思い詰めていたんだよ。逃げるにしても、外出許可を得てから逃げればいいではないか」ってことになる。元恋人が結婚していることを確認するために逃げ出した久野も同様です。
しかし、中には鶴尾のようなケースもあったでしょう。反抗的な態度を見せたり、逃げる意思を見せたりすれば、妓楼はその娼妓を信用はせず、外出許可など出すはずがない。また、好きな男がいるらしきことがわかっても同様です。
ここで改めて、妓楼が娼妓たちの行動を制限した事情をまとめておきます。
ここまで書いてきたように、もし女たちに逃げる意思などなく、外出の許可を得ても逃げなかったのであれば、いちいち許可など得ずに自由に外出できるようにすればよかったではないかと思う人もいましょう。
なぜそうしなかったのか。第一には今現在の風俗店で店外デートを禁じられているのと同じ理由からです。
店外デートを自由にできるようにすると、必ずや客と外で会って、直接商売をするのがでてきます。禁止したって、現実にこういうことをしている風俗嬢たちがいくらでもいます。風俗嬢たちからすると、全額自分のものにできるのですから、そうしたくなるのも理解できます。
風俗店に限らず、どこの会社でも、社員が業務で知り合った顧客と直接交渉して、社外で仕事をこなして金をすべて得ることは許されず、背任に問われます。
とりわけ売春は、身ひとつあればできてしまいますから、店を通さずに商売することが容易です。だからこそ、どこの店でも店外デートは禁止です。
今の時代でもそうですから、まして手にできる金が少ない上に、仕送りをしたいとの事情があった娼妓たちの中には、この誘惑に勝てないのが出てきてしまったでしょう。
江戸時代の元和五か条という取締規則の中にも「遊妓の外出売春を禁ずる」旨が書かれています。公娼制度は、私娼を認めないことと対になってますから、外で商売されてしまったのでは公娼制度の意味をなくしてしまいます。幕府や明治以降の政府にとっても、廓外での商売は御法度です。
江戸時代は、遊廓外で売春した女たちが捕まると、吉原に送り込まれました。彼女たちは罰として吉原が働くことを強いられたわけですから、牢獄の強制労働みたいなものです。こういった女たちは外出ができるはずもなく、ただひたすら脱出を試みたかもしれません。
より金を儲けたいのは多くの人たちに共通することです。楼主だけでなく、娼妓も同じ。今の時代には、労働者の権利というものが確立されていますから、経営者と労働者の「より楽により儲けたい」との欲望をすりあわせることがある程度はできるようになっていますが、百年も前になると、経営者側の力が圧倒的に強い。
当時の経営者にとって、もっとも合理的な方法は、自由に外出できないようにすることであり、これは女工や炭坑労働者、商店の丁稚たちも同様です。これらの職業では、寝る時間と食事の時間以外はすべて労働ですから、外出する時間が最初からないわけですが。
続いての事情は、すでに書いたように、娼妓を守るためです。こういう言い方は、妓楼が娼妓を痛めつけていたと信じて疑っていない人たちは反発するでしょうが、実際に妓楼を経営していた人が書いている本の中にも書かれていて、考えてみれば当然のことです。
純然たる娼妓の安全を考えてのことだけではなく、行方不明になったり、怪我をしたのでは、困るのは妓楼ですから、自分たちのためにも娼妓を守ろうとしたでしょう。
第一の理由である外での商売もまた危険を伴います。今も店舗内での事件よりも、無店舗で働く方が事件に巻き込まれやすく、出会い系サイトなどを使ったフリーのセックスワーカーが殺される事件もしばしば起きています。
そして、第三には、足抜けを恐れていたからです。楼主やお内儀が、足抜けに対して厳しく処したのは、「娼妓の安全を図ったこと」と同じ理由からです。逃げられたら、借金を踏み倒されてしまって大損です。
前々回、前回、『廓の子』で見たように、決して楽ではない経営状態の中で、楼主がもっとも恐れたのが娼妓の病気であり、病死や心中などの死であり、足抜けだったわけです。
体に残るような暴力を日常的に行った妓楼もあったようですが、極稀な例でしょう。そんなことをしたら、客がつかなくなってしまい、結果自分が損をする。しばしば楼主は金の亡者のように描かれますが、そうであればあるほど、そんなバカなことはしない。
外で商売をされることを恐れ、誘拐や事故を恐れ、足抜けを恐れたために、自由を制限せざるを得ず、好き好んでそうしていたわけではない。現にその恐れがない娼妓は単独の外出もでき、『廓の子』では買い物にも出かけさせていました。それがために逃亡するのが出てきてしまい、こうなると、それをも制限せざるを得ないでしょう。
繰り返しますが、それになんら問題がないと言っているのではなく、今の時代に見ればとんでもないことです。しかし、遊廓のみが批判されれば済むことなのかどうか。
このあとは、そのことを詳しく見ていくことにします。
「吉原炎上」のウソ 18/娼妓が死ぬ事情
前回に続いて加藤てい子著『廓の子』を見ていきます。
主人公の母が経営する妓楼で亡くなった3人目の娼妓は藤子です。処女で遊廓にやってきたため、主人公は逃げるように勧めるのですが、藤子は毅然と拒否します。
わざわざ処女であることを強調し、それがゆえに逃げることを勧めていることから、一般に思われているようには、処女で遊廓に来るのが多くはないことが読み取れます。
なおかつ、主人公と違い、藤子は自分の育った現実をよく知っていて、逃げたところで意味がないこともわかっていました。娼妓たちは逃げたいのに逃げらなかったのでなく、逃げても意味がないことを知っていたから逃げなかったのです。
やがて童貞の宇津木という客が藤子につき、繰り返し宇津木は藤子のもとにやってくるようになります。主人公はこの宇津木に惹かれるようになり、藤子と宇津木と主人公の奇妙な三角関係が始まりますが、主人公はこの関係から逃げ出します。宇津木は厭世的になっていて、最初から死ぬ相手を求めていたようなところがあり、それを主人公は察知したようでもあります。
そして、宇津木と藤子は心中を果たします。つまり、死ぬ事情は宇津木にあって、藤子はそれにつきあった「同情心中」とでも言うべき心中でした。これもすでに書いたように、遊廓の心中ではこのパターンも多いのです。
もちろん、娼妓の側からすれば、自分の身を儚んでということもありましょうが、娼妓たちが儚んだのは、遊廓の生活が過酷だったからでしょうか。外出もできないような「籠の鳥」だったからでしょうか。
この事情については、4人目の例がよく説明してくれています。
藤木が宇津木と心中したのと同時期に真弓という娼妓も死んでいます。真弓は初めてついた客とともに逃げ、2年間逃避行をした末に服毒心中。その客は強盗殺人で指名手配されていた犯罪者でした。
主人公は「真弓は自由を求めた」としているのですが、真弓は年季を終える寸前でした。つまり、ここでの自由は「遊廓から出る」ということではなく、もっと抽象的、もっと普遍的な自由です。
この真弓が足抜けしたのに続けて、嘉代子という娼妓も足抜けをします。嘉代子は真弓の足抜けに刺激されたのか、買い物にいった時にフラリと実家に帰ってしまうのです。
娼妓の契約書は連帯保証人を必要として、多くは親がサインをします。娼妓が足抜けをした場合、連帯保証人は借金の返済を求められますし、娼妓を探し出して妓楼に戻す努力をしなければならないため、実家に逃げ帰ったところで、親はそれを受け入れるわけにはいかない。
実家に娘が帰ってきたとあっては、親は楼主に連絡をして、連れ帰ってもらうしかない。そんなことは嘉代子も知らないはずがないにもかかわらず実家に帰り、当然、嘉代子はすぐに連れ戻さます。
戻ってきた嘉代子を主人公の母は殴り、こう嘆きます。
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あんたたち、あんたたちが逃げなければならんほど、このうちはひどいことをしてるか! おんなの......おんなの楼主だと思って馬鹿にして......。
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母が娼妓を殴ったのを見たのはこの時だけです。買い物に行くのも自由にさせているのに、なぜ逃げるのかとの嘆きです。
主人公は【喜代子は逃げ出してみて、はじめて檻の存在を知ったのだ】と書いています。それくらい自由だったわけですし、逃げること、つまり借金を踏み倒すことだけには厳しかったことがわかります。
【なぜ逃げきってしまわなかったの?】と主人公は嘉代子に聞き、喜代子は【いっそ惨めに酷い仕打ちを受ければ逃げきれるのでしょうけど......】と答えています。戻れば半殺しになるとわかっていれば逃げるが、そうではなかったと。
彼女は遊廓の生活ではなく、遊廓を出たあとのことを不安に感じていました。遊廓にいた女に対する社会の視線を恐怖したと言ってもいい。遊廓から足抜けしたところで、その視線から逃れられるわけではないのですが、不安で不安でしょうがなかったのでしょう。
主人公が母に廃業を提案するのは、左翼活動家の影響もあったようです。主人公は、自分の考えをあまりきれいに整理ができておらず、売春に対する嫌悪を「労働者を搾取してはいけない」という考え方とすり替えているようなところもあります。
ここは世間一般の売春反対の人々を象徴していると見ることもできます。売春に反対する根源的な理由は「売春が嫌い」という個人の嫌悪感でしかないのに、そこに「人権が侵害されている」「監禁に近い状態」「暴力をふるわれている」といった話をくっつけることによって合理化する。そのために時にデマまで流す。
しかし、主人公は遊廓の実態を知っているがために、「労働者の搾取」という程度のことしか言えなかったわけです。彼女がその後働くことになる新聞社だって、企業である以上、労働者を搾取していることには違いがないにもかかわらず。
主人公は母に労働環境の改善を申し入れますが、聞き入れられず。母は、妓楼に対する税金がどんどん高くなり、「山のような負債」を抱えているため、女たちへの配分を増やすことなどできないと言います。そんな仕事だったらやめてしまえということで、廃業を決意。
妓楼に対する税金が過酷だったのは事実ですし、多くの妓楼が借金を抱えていたのも事実で、これは福井だけのことではありません。「女たちを搾取して経営者は贅沢三昧の日々を送っている」といったイメージを持つ人たちも多く、事実、儲かっている妓楼もあったわけですが、現実はこんなものです。
前回と今回、『廓の子』で見てきた遊廓の実情は、すべてが明治の吉原に当てはまるわけではないのですが、部分的にはそのまま通用すると思われる箇所もあります。
では、次回、その辺を詳しく見ていくとしましょう。