遊郭
「吉原炎上」のウソ 37/娼妓と女工 15
売春は売春をする側にとっても娯楽であり得る。
ここまで説明してきたように、組坂松史は、『女の地図』掲載「五十円織姫の性態」で、あるいはそれ以外のルポでも、このことを的確に描いていて、そこに私は感心し、組坂松史の書くことが信用するに足ると感じます。
戦前であれ、戦後であれ、女工たちは、日々の生活から逃れるように売春をしていて、そうしないではいられないくらいに給金が少なかったのですし、セックスが娯楽になるくらいに退屈な生活だったわけです。
だから、工場での契約機関を終えると、私娼で働くのが少なくなく、時間を見つけては仕事の合間に売春するのも出てきてしまう。
自分の頑迷な思い込みを現実に投影しようとするのでなく、虚心に現実から学ぶ姿勢をもって、丹念に取材をしていけば、こういう側面に気づかざるを得ない。
私も風俗産業のことをよくわかっていないかった頃は、「女たちは金のためにイヤイヤ風俗嬢をやっている」と思っていたものです。
さらに若い頃、それこそ10代の「子ども」の頃だったら、「女たちが自らの意思で望んでそんなことをやるはずがない」とさえ思っていたかもしれない。
そういう思い込みは、現実を見ることであっさり壊れていくわけですが、壊れる機会がなかった人たちの中には、子どもじみた考えを抱えたまま大人になって、その頑迷な思い込みをもとに、「売春をする女たちはことごとく強制されている」と発展させていくわけです。これを妄想と言わず、なんと言いましょう。
「てぃんくる」の連載(ネットではなく、雑誌の「てんくる」でやっている連載)に詳しく書きましたが、先日、6年前に風俗嬢を辞めた既婚女性から電話がありました。
彼女も当初は金のためにやむなく始めたのですが、やがては仕事の楽しさに気づき、風俗嬢という仕事がなくてはならないものになっていきます。
ところが、6年前、妊娠したために引退。それ以降も時々連絡をくれて、「また戻りたい」と言っていました。
子どもの手がかからなくなったので、このほど、念願がかなって復活。電話はそれを報告するものでした。
「あの頃が楽しくて楽しくて忘れられなかった」と彼女は言います。
この不況で、夫は労働時間が増えてはいても、収入が減ったわけではなく、彼女が風俗嬢として復活したのは、経済的な事情ではなく、娯楽のため、生きがいのためです。妻や母として生きるだけでは、それを十分には得られない。
もちろん、仕事である以上、金も大事ではありましょうが、風俗店も今は暇で、以前のように稼げるわけではない。それでも彼女は本当に嬉しそうです。
今の時代であれば、こういう存在は珍しくもなく、こういった女たちの話をいくらでも聞いていますから、なんら違和感なく受け入れることができます。
しかし、古い時代においても、そういう層がいたことはなかなかわかりにくい。今も生きている人たちが多数いても、本人たちの話を聞く機会はなかなかないですし。
今現在の風俗嬢たちの話を聞くようになって以降も、私は「今の時代は好きでやっているのが少なくない。しかし、昔の人たちはことごとくがイヤイヤやっていた」という見方をしてしまいがちでしたが、古い資料に目を通していくと、いつの時代でも、そういう層がいることがわかってきます。
それが見えてくる資料はさまざまありますので、また機会があったら紹介していくことにして、そろそろ話を『女工哀史』に戻します。
細井和喜蔵によると、全国の女工数は300万人。その多くは、『女工哀史』に描かれたような環境で生活していたわけですが、遊廓の労働内容が売春であったことの宗教的、道徳的、主観的な評価を除いて、女工と娼妓を比較した時に、いったいどちらが悲惨であったでしょうか。
今の時代の価値観からすれば、「どっちも悲惨」というのが正しいわけですが、あえて比較をするなら、細井和喜蔵が書くように、女工の方が悲惨だとすることに多くの人は異論はないでしょう。
「どっちも悲惨であり、比べようがない」ということでもいいのですが、だとしても、「300万人の悲惨」に触れずして、その数百分の1しかいなかった娼妓をことさらに取りあげるのはフェアではない。
ところが、現にそうしてきた人たちがたくさんいます。こういう人たちは戦前からいて、だからこそ、細井和喜蔵は、繰り返し娼妓の話を比較として出し、公娼制度に反対する人々を批判的に取りあげたとも思えます。「問題にすべきは、そっちじゃなくて、こっちだろ」「そっちも問題かもしれないが、喫緊の問題としてはこっちが先だろ」と。
続きます。