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「吉原炎上」のウソ 39/娼妓と女工 17

新年あけましておめでとうございます。暮れであろうと新年であろうと、何の関係もなく、話を進めていきます。

2月くらいには「『吉原炎上』のウソ」シリーズを終了して、1回読み切りスタイルに戻したいと思っているので、もう少々おつきあいください。

女工の生活を描いたものとしては、『女工哀史』と並んで、山本茂実著『あゝ野麦峠』(1968)が知られます。明治から昭和にかけて長野県に多数あった製糸工場に出稼ぎに出た女たちから得た証言を元にしたノンフィクションであり、映画で観た人も多いことでしょう。

『あゝ野麦峠』においても、『女工哀史』同様の悲惨な生活、苛酷な環境が描かれているのですが、これに対しては悲惨さを強調しすぎているという批判がなされています。

食事もロクにとれず、栄養を補うために、蚕のサナギを食べる。病気になっても働かされて、働けなくなると、わずかな見舞金を手にして工場を追い出される。逃亡しても追われて工場に連れ戻される。

長野の製紙工場でも、そんな現実があったにもかかわらず、本人たちは、それを悲惨だとは必ずしも感じていなかったようです。

以下のサイトに、当時製紙工場で働いていた人たちの証言が出ています。

http://www6.plala.or.jp/ebisunosato/nomugi.htm ---------------------------------------------------------------------------------------

 女工哀史は粗悪な食事、長時間労働、低賃金が定説になっているが、飛騨関係の工女は食事が悪かった・低賃金だったと答えたものはいなかった。長時間労働についても苦しかったと答えたのはわずか3%だけで、後の大部分は「それでも家の仕事より楽だった」と答えている。それもそのはず、家にいたらもっと長時間、重労働をしなければ食っていけなかった。

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もちろん、時間が経ったがために辛い記憶が薄れたということもあるでしょうが、それにしても、食事や低賃金への不満はゼロで、一日13時間から14時間におよぶ長時間労働が苦しかったとするのはわずか3%しかいない。

ここでは、『女工哀史』に取りあげられた女工たちと、『あゝ野麦峠』』に描かれた女工たちとの環境の違いを指摘しています。「あの本ほど長野ではひどくなかったのだ」と。

『あゝ野麦峠』の舞台は製糸工場。対して、『女工哀史』で取りあげられているのは紡績工場がメインです。製糸工場は養蚕地にあったのに対して、紡績工場は都市型の工場です。

製糸工場は近隣の農村部から季節工として労働力を集め、紡績工場は全国からかき集める必要があります。前借をはずむしかなく、その分、苛酷に搾取する。また、小規模な工場が多かった製糸工場に比べ、紡績工場は大規模です。それらの特性の違いから、どちらかと言えば製糸工場の方が長閑だったようです。

したがって、長野県岡谷市あたりの製糸工場は、紡績工場に比べると比較的マシな環境だった可能性があるわけですが、それにしても、自殺者や逃亡者が出たような環境だったことには違いなく、外出が禁じられ、労働時間が長かったことにも違いはない。「それでも家の仕事より楽」と答えています。

前回書いたように、『女工哀史』に描かれた都市型の工場においても、果たして細井和喜蔵が嘆くほどに、女工たちが自分らの置かれた環境を細井和喜蔵と同様に嘆いていたのかどうかはいささか疑問です。

売春問題でもよくあることなのですが、世に流布する売春の悲惨話を、遊廓や赤線をよく知る人たちはリアリティをもって受け取ることができず、私自身、古い時代を知っている人たちに、「それは公娼の話だろう」「それは昔の話だろう」と言われたことが何度かあります。

外部の人たちが過剰に書き立て、時に創作を交えて誇張した情報を、当時者である彼らは「よその話」「過去の話」としてしか受け取れないわけです。

それと同じことが女工においても起きていたと言ってよさそうです。細井和喜蔵は外部の人間ではないですが、視点が外部にあったかもしれない。

また、ここでは、娼妓より悲惨な女工の生活が「家の仕事より楽だった」と感じるような現実があったことを見逃してはならないでしょう。野麦峠を越えて工場に向かう女たちは、「辛い農作業からしばらく逃れられる」と喜んでいた。

自殺者や逃亡者が出るような過酷な仕事にもかかわらず、300万人もの女工たちをつねに確保することができたのは、農業はそれほどまでに辛かったからです。

子どもが家の手伝いをするにしても、夜明けとともに起き、日が暮れるまで外で働く。夜は夜で、作業がある。それでも白い米など食べられず、口にできるのはヒエやアワ。

工場では、結核や事故のために死ぬ可能性さえあったわけですが、家にいたら餓死する可能性もあった。

だから、小作農たちは、子どもらを働きに出しました。男の子は軍人にするか、商店の丁稚に出す。あるいは、地主のところに下働きに出す。時には芸人の子どもとして金で養子に出す。九州であれば、年長者を炭坑に送り込む。

女の子で器量のいいのは娼妓、あるいは芸妓にし、そうじゃないのは女工に出す。今で言えば、たったの数十万円のにしかならなくなても、ありがたかった。

このような社会の中で、工場が成立し、遊廓が成立していたのであって、娼妓が悲惨なら女工はさらに悲惨、そして農業はさらにさらに悲惨。このことを踏まえない限り、遊廓を正しく理解することはできません。

長くなりましたが、女工と娼妓の比較はここで終わりにし、これを踏まえて次に進みます。

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あなたの知らない性風俗史。
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松沢呉一のプロフィール

1958年生まれ

大学卒業後、メディア関係のいくつかの仕事を経てライターに。

当初は幅広くこなす何でも屋だったが、30代後半からは性をテーマにすることが増え、やがて風俗ライターに。
2005年、風俗ライターの肩書きを捨て、現在は単なるライター。
風俗ライター廃業をきっかけに有料メルマガ「マッツ・ザ・ワールド」をスタートさせ、毎日、1本から2本配信。
著書に『エロ街道をゆく』『ぐろぐろ』(ちくま文庫)、『風俗ゼミナール』(ポット出版)、『風俗お作法』(しょういん)、編著に『売る売らないはワタシが決める』(ポット出版)など多数。