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「吉原炎上」のウソ 41/斎藤真一の限界

ようやく話は戻って、ドラマ「吉原炎上」の話です。その前に、原作者の斎藤真一について。

原作である『吉原炎上』は、正しくは『絵草紙 吉原炎上』で、「祖母 紫遊女ものがたり」という副題がつきます。版元は文藝春秋。

これが出た昭和60年に河出書房新社から、斎藤真一は『明治吉原細見記』を出しています。こちらはA4サイズの大判で、画集のような体裁です。

こちらも所有していながら、今まで文章まではちゃんと読んでいなかったのですが、改めて読んだら、祖母の話を入れつつも、明治の遊廓一般に関する記述が中心になっています。

『明治吉原細見記』の方が絵の点数が多いのですが、『吉原炎上』に掲載された絵はすべて『明治吉原細見記』にも収録されているようです。どちらの本も絵を見せる体裁になっていて、同時期に同じ絵を掲載した本を出すのは契約違反、少なくともモラル違反ではなかろうか。あるいは、文章が違うし、趣旨も違う本なので、許されるのかな。私もよくはわからんです。

それはいいとして、母から聞いた祖母の話を淡々と記述している『吉原炎上』に比して『明治吉原細見記』はそこから離れて吉原一般の話になっており、そこに著者の見方を加えている分、遊廓の悲惨さ、娼妓の哀れさが強調されているように感じます。

著者は多数の資料に目を通していますから、事実は事実として記述しています。例えば投げ込み寺について、【実際には、楼ごとに墓があって、そこに埋葬されたようなのだが】と書き、「投げ込み寺」という名称から、【まるで猫の死骸を捨てるように、おり重なって投げ入れられる】ようなイメージが作られてしまったと書いています。

現に遊女の遺体を境内あるいは墓に粗雑に投げ込んだように思っている人が少なくなくて、著者はそれを誤解であると指摘しているわけです。

ところが、【浄閑寺を「投げ込み寺」と名付けて平気でそう呼んでいたということは、遊女がそのくらい非道い扱いを受けていたことの証である】【遊女を扱う気持ちは「投げ込む」ような乱暴な気持ちだったことに変わりない】と一方的な解釈を持ち込んで、せっかく調べた史実を台無しにしてしまってます。なんでこうなるかな。

すでに書いたように、「投げ込み寺」という名称は安政の大地震の時にできた言葉という説と、妓楼の墓に投げ入れるように葬ったとの説があって、前者の方が正しそうなのですが、もしそうだとしたら、娼妓の悲惨さとは関係がありません。地震が悲惨というだけのことです。

安政の大地震の際に、遺体を遊女とそれ以外に峻別して、前者のみを乱暴に穴に放り入れたとでも言うのでしょうか。あるいは、関東大震災の際、東京大空襲の際、広島や長崎の原爆投下の際に、身元の確認もできないまま、焼いたり、穴に投げ入れたりしたのは、「非道い扱い」であり、「乱暴な気持ち」によるものだったとでも言うのでしょうか。

「投げ込み寺」の由来が後者だとしても、遺体を引き取りもせず、線香のひとつもあげてやらない親族と、そんな義務などないのに、葬儀をやり、墓に葬ってやった妓楼とどちらが酷薄なのかってことです(親族を責めても仕方がないところがあるのですが)。

つまり、「投げ込み寺」という名称は、本来の意味をねじ曲げられ、「遊女は非道い扱いを受けていて欲しい」「乱暴な気持ちで扱われて欲しい」という人々の心のうちを投影されたものとして使用され続けているに過ぎず、この言葉から、遊廓の現実、遊女たちの現実を読み取ることは不可能です。ここから読み取れるのは、言葉の意味をねじ曲げる人々の非道さ、乱暴さです。

なお、新宿の太宗寺など、浄閑寺以外にも、「投げ込み寺」と呼ばれる寺が遊廓の近隣にはありますが、これらは近代になってから後付けで呼ばれるようになったものなのではないかとの疑いを抱いてまして、そのうち調べてみようと思います。

斎藤真一の論理からするなら、関東大震災の時に、存在しない門の扉を閉じて娼妓が逃げられないようにしたというデマをとらえて、「平気でそういうデマを流す人たちがいたということは、遊女がそのくらい非道い扱いを受けていたことの証である」とも言えることになります。たしかに非道い扱いですが、非道い扱いをしているのは、遊廓や娼妓についてはウソを言ってもいいのだとばかりにデマを流した人たちです。

どうしてこうも売春をした女たちは悲惨な扱いをされていて欲しいと願うのかな。そう願うのは勝手ですが、その願望から事実をねじ曲げないで欲しい。

こちらの本には、吉原の娼妓がその時代のトップレディーだったとの話は見当たりません。祖母から聞いた話、自分が体感した話から離れて、一般的な事実を記述すると、斎藤真一でもこうなってしまいます。

これが斎藤真一の限界です。斎藤真一は多数の資料に目を通していますが、まだまだ足りない。あるいは中途半端に資料に目を通したがために、そうなった可能性もあります。

遊女たちが悲惨な扱いをされていてくれれば遊廓を否定できるし、売春を否定できる。そう願う人々が事実をねじ曲げて書いた資料が世の中には多いですから。

母から聞いた祖母の体験談をそのまま受け入れていた方が遊廓の正しい姿を理解できたはずで、事実、それを柱にして書かれたのが『吉原炎上』です。いかに斎藤真一が偏見に満ちた人だったとしても、親族から聞いた話までは改竄できず、祖母を貶めることはできなかったのでしょう。

斎藤真一が生きているうちに、『吉原炎上』と『明治吉原細見記』の二冊の矛盾をどう自分の中で整理していたのかを聞いてみたかったものです。「自分の祖母だけは特別」と思っていたのでしょうか。

続きます。

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松沢呉一のプロフィール

1958年生まれ

大学卒業後、メディア関係のいくつかの仕事を経てライターに。

当初は幅広くこなす何でも屋だったが、30代後半からは性をテーマにすることが増え、やがて風俗ライターに。
2005年、風俗ライターの肩書きを捨て、現在は単なるライター。
風俗ライター廃業をきっかけに有料メルマガ「マッツ・ザ・ワールド」をスタートさせ、毎日、1本から2本配信。
著書に『エロ街道をゆく』『ぐろぐろ』(ちくま文庫)、『風俗ゼミナール』(ポット出版)、『風俗お作法』(しょういん)、編著に『売る売らないはワタシが決める』(ポット出版)など多数。